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将棋というゲームには実戦とは別に「詰将棋」と呼ばれる分野があり、新聞や雑誌などを読まれているときに短手数の詰将棋作品が正解手順とセットで掲載されているのを見かけられたことが一度ならずあるのではないでしょうか。

『詰将棋解図物語』は、実戦対局よりもやや短めの手数の詰将棋を駒を並べて一緒に鑑賞してみないか、という師匠からの声掛けにより、プロ入りを目指す詰将棋好きの女子アマが、師匠を相手に対局形式で解図を試みることになったところからはじまります。

(女子アマとその師匠の人物設定はフィクションです)

INTRODUCTION

はじめに

師匠
師匠

君は、確か詰将棋が好きだったね。

女子アマ
女子アマ

はい。私は詰将棋好きで、ときどき短編の作品を解いて楽しんでいます。

師匠
師匠

実戦対局と詰将棋の違いといえば何だろうか?

女子アマ
女子アマ

両者の違いはといえば、例えば、実戦の対局開始局面は決まっています。

女子アマ
女子アマ

実戦対局の場合は先手を持った側が最初に局面を動かすのですが、初手として選ばれる手は▲76歩か▲26歩が圧倒的に多いようです。

女子アマ
女子アマ

一方で「詰将棋」は「出題図」がそのまま開始局面ということになります。
「出題図」からは攻め方が先手となり、玉方の王様に向けて途切れることなく連続して王手をかけていきます。攻め方と玉方は別々の人ではなく、通常は問題を解く人が攻め方と玉方を一人二役で行っていることが多いようです。
駒をいじってたら出来ちゃったという、素材程度のレベルで恥ずかしいですが一応自作の詰将棋をもとに説明させていただきます。

女子アマ
女子アマ

上の詰将棋の出題図には後手の持ち駒の記載がありませんが、詰将棋の場合は盤に配置されている駒と攻め方の持ち駒を除くすべての駒が玉方の持ち駒です。(といっても玉だけは持ち駒にはなりませんが・・・)
上の問題は初手の▲91角成が一応詰将棋らしい手。玉方は▽同玉とするしかありませんが、以下▲92歩⇒▽81玉⇒73桂までの5手詰めです。

女子アマ
女子アマ

実戦の対局の場合は、詰ますことよりも相手に勝つことの方が優先されるので、自玉に詰みがないと判断できていて、少しでも詰ます自信が持てないのであれば▲91角成のような手はせずに▲73桂⇒▽91玉⇒▲61桂成⇒▽82合駒⇒▲71成桂 といった具合に必死を掛けて確実に勝てる方法を選ぶのが実戦的な手順といったところでしょうか。

 詰将棋の話に戻りますが、詰将棋における玉方の作法としては攻め方が王手をしてきたら、その駒を取ったり、王様が逃げたり、合理性のある合駒をしたりしながら最前を尽くして長手数になるように抵抗するのが習わしです。

 最後は攻め方の駒台に持ち駒が何も無い状態になってぴったりと詰め上がるのが正解手順又は作意手順とされています。

 出題局面の中には対局と同じように攻め方側の王様が配置されている問題もありますが、攻め方側には王様がいない方が詰将棋の出題図としては一般的です。

 ちなみに攻め方側にも王様がいるのは「双玉問題」といって、相手の王様に対して王手をかけたときに、玉方の応手によってこちら側の王様に王手がかかってしまったら、こちら側はその王手をかわしながら次の王手をしないといけないというルールです。

師匠
師匠

わかりやすく説明してくれたね。

女子アマ
女子アマ

いえ、とんでもないです。実戦対局と詰将棋の違いについて私が語れるのは今お話をさせていただいたぐらいですが、詰将棋は実戦では滅多に出てこないような気付きにくい手によって一見詰まないと思うような王様が詰んでしまうので、ぎりぎりのところで詰むのか詰まないのかが微妙なときの局面での読みを鍛錬するのには役に立ちますね。

師匠
師匠

ときどき詰将棋を解くことは終盤力をアップするための方法としては効果的かもしれないね。

女子アマ
女子アマ

ところで先生、詰将棋作品の出来映えについては、いろんな決め事というか、暗黙の了解のようなものがあるようにも聞いています。
そのあたりのところを先生からお話いただけないでしょうか。

師匠
師匠

わかったよ。それじゃ私から少しだけその話をしてみようか。
 「詰将棋」にはどの作品にも作者がいて、「作意」というものがある。 
「作意」というのはその詰将棋を作った作者が考えられた正解手順のことなのだが、さきほど君が言ったように「作意」以外の手順でも詰んでしまう作品があり、それは余詰がある作品となる。

 発表された作品が余詰のある作品だったことがわかると君が説明してくれたとおり、作品としては致命的な欠陥がある「不完全作品」となってしまう。
 「不完全作品」の定義はほかにもある。実戦では問題にならないが、「手順前後」といって、先にやっても後にやっても結果は同じという手順が成立すると、詰将棋の世界では作品としての価値が落ちるんだよ。

 それと、「不詰作品」というのも「不完全作品」の一つだ。

女子アマ
女子アマ

先生、今「不詰作品」と仰られましたけれど、詰将棋の問題はあらかじめ詰むことが前提として出題されるものじゃないんですか?

師匠
師匠

もちろんそうさ。詰まない作品はいくら考えても詰まないのだから、解答に挑戦している人の時間を無駄に費やしてしまうことになる。

女子アマ
女子アマ

それって解答者に対して失礼じゃないですか。

師匠
師匠

いや、出題の段階ではどの問題も確信をもって、詰ますことが出来る作品として発表されている。
ところが、作者だけではなく掲載誌の出題責任者にも気が付かれなかった絶妙な応手をすると結果としてどうやっても詰まなくなってしまう玉方の受け手順が見落とされた状態で出題されてしまったのが「不詰作品」なんだよ。

女子アマ
女子アマ

意図的に「不詰作品」が意地悪な問題として出題されるというわけではなく、結果として「不詰作品」が作者や出題者の意に反して出現するということですね。

師匠
師匠

「不詰作品」は「余詰作品」以上に悪い印象を持たれて「不完全作品」としてのレッテルを貼られて忘れ去られてしまうんだよ。
 そして、解答が発表される段階では、出題ミスとして、解答を寄せた人たちは白紙解答も含めて全員正解とされる決まりになっているんだよ。

女子アマ
女子アマ

それはちょっと違うような気がします。でも、詰将棋の世界にそのような決まりがあるのなら、それはそれで理解はしますけど・・・

師匠
師匠

何か違和感があるのかい?

女子アマ
女子アマ

いえ、「不詰作品」が出題者側の意図に反して出題されてしまうことは理解できましたけれど、解答者の立場はまた異なるのじゃないかと思ったんです。
 その場合の解答者は全員正解ということじゃなくて、
「この作品はどうしても詰ますことが出来ませんでした」
とか、
「作意手順らしきものは発見できたのですが、その手順はこのような対応をされると詰まないので作者が設定された紛れ手順かもしれません。最後まで本当の作意を見つけることが出来ませんでした」
と回答してきた人だけが正解とされるべきじゃないでしょうか?

 作者や出題者が意図しなかったこととはいえ、結果的に「不詰作品」となってしまった作品について、詰み手順を記してきた人は、不詰手順を見逃しているという意味では正解ではないわけだし、白紙解答の人はそもそも最初から手を付けていないだけかもしれないじゃないですか?

師匠
師匠

君、なかなか言うねえ・・・。

女子アマ
女子アマ

いえ、失礼な言い方になってしまったかもしれませんが、私の素直な感想です。

 それと、「余詰作品」についてなんですが、発表された作品に「余詰」が見つかったとしても、その作品に不完全作品としてのレッテルを貼って葬り去ってしまうのではなくて、修正できる人がいて修正可能なら手を加えて完全作品としてから再評価した上で後世に残して行くという考え方があってもいいのじゃないでしょうか。

 コンピュータの場合は、プログラムにバグが見つかるのはむしろあたりまえで、その都度修正されていきますが、それが繰り返されることによってシステムがバージョンアップされていくじゃないですか。

師匠
師匠

詰将棋の場合はコンピュータのバグとは少し違うんだ。それは、発表時において誰がその作品を作ったかということに重きが置かれてきたからかな。

女子アマ
女子アマ

もしかして著作権ですか? それが問題になるとややこしそうですが、実戦の対局では誰かが見つけた「新手」はその人の名前が冠せられることはありますが、次の日にはもう誰が指しても斬新な手としては評価されなくなってしまうじゃないですか。

師匠
師匠

いや、詰将棋の作品をコンピュータの世界に喩えると、詰将棋作家にとって自分が作った詰将棋は作家独自の工夫を凝らした一種の「ソフトウェア」なんだよ。もしも同一局面の詰将棋が他人の名前で発表されたら、それは自分が作った作品だと言いたくなる気持ちは理解できるだろう。

女子アマ
女子アマ

その気持ちは理解できます。苦労して作った作品なのに、その作品が他人の名前で発表されるようなことになればショックでしょうね。
著作権の問題はともかくとして、本格的な詰将棋を作れる人はそれだけでたいしたものだと思います。 それはある種の才能じゃないでしょうか。普通は詰将棋というのは誰かが作られた作品の解答に挑戦させていただくのが精一杯でとても作れるものじゃないと思います。

師匠
師匠

詰将棋の世界には実戦では味わうことの出来ない独特の魅力があるんだよ。昨今はコンピュータの性能が格段に良くなったので、結構難しい問題でもコンピュータを使うと簡単に解けてしまう場合が多いので、少し考えても解けない問題はコンピュータに解いてもらって、答えがわかったつもりになって次の問題に移るだけかもしれない。
 詰将棋を解くだけだったらコンピュータの性能はもはや人間の能力をはるかに凌駕している。余談だが、一昔前のある時代、コンピュータは確かに詰将棋を解くことにかけては抜群の能力を発揮したが、実戦では人間の方が強かった。答えのある詰将棋とは違って持ち駒のあって無限といってもよい可能性を秘めた将棋というゲームにおいて、コンピュータがプロ棋士に勝てる時代は永遠に来ないと考えていた人達もいたのだが、今や実戦の対局においてもコンピュータの方が人間よりも強くなってしまった。

女子アマ
女子アマ

そのお話はちょっと意味深です。
詰将棋を「解く」ということに続いて実戦対局で「勝つ」ということについても今やコンピュータにかなわない時代になってしまったというわけですね。

師匠
師匠

難しい話はこれぐらいにして、今日は君に紹介しておきたい、とっておきの長編詰将棋作品があるんだ。実戦の対局手数よりは短めだが、頭の中だけで処理をするのは難しいだろうと思う。君が詰将棋好きなのは知っているが今から君に解いてもらいたいと考えているわけじゃない。盤上で初手から詰みに至るまでの局面を実戦対局のように駒を動かしながら詰将棋を対局のように楽しんでみたいと思っているのだが、それでいいかい。
一旦詰め上がりまで並べてみたあとで、初手まで戻って途中、別の逃げ方をすればどうなるかなどを感想戦のような形で行うということで・・・。

女子アマ
女子アマ

いえ、最初から答えを見ながらただ正解手順を並べるだけならつまらないような気がしますので、私からの提案ですが、次のようにしていただけないでしょうか。

 出題局面から王手が連続して続きそうな手を見つけては駒を進めてみますので、私からの王手に対して、先生はその手ならこうするよ、とか言って実戦対局のように応戦していただけないでしょうか。
 そんなことをやっているうちに、もしかしたら正解手順らしきものが見えてくるかもしれませんので・・・

師匠
師匠

わかったよ。それはいい提案だ。
それにもしかしたら、これから紹介する作品を鑑賞するにはそれがとりわけ良い方法であるかもしれない。
 それじゃこれから行う詰将棋対局のルールを決めておこう。
実戦の対局とは違って、詰将棋対局は何回でも局面を戻してやり直しが出来るが、戦意を失ってギブアップした場合と、今日一日かけても正解手順にたどり付けなかった場合は君の負けということにしておこう。
以上の前提でこれから詰将棋対局をはじめてみたいと思うが、大丈夫かい。

女子アマ
女子アマ

それで大丈夫です。
長編詰将棋とはいえ実戦対局の手数よりも短めだということと、何回でもやり直しが出来るというのなら気が楽です。
これからご紹介いただく作品で詰将棋対局が出来るのが楽しみです。
それではよろしくお願い致します。

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